代償行為

written by 板録 様

本編23章、デート「届かない声」が前提になっているお話です

ショウから与えられた任務をこなした後、私はふらりとエスニック風の雑貨店に立ち寄った。何か目当てがあったわけではない。ただなんとなく、帰りたくない気分だっただけだ。

(独特の香りと、ごちゃごちゃした感じ……こういうの、嫌いじゃないんだよね)

ゆっくりと歩きながら、店内にある商品を眺める。普段あまり見かけないようなアクセサリーや小物がやや乱雑に並べられていた。
どれも不思議な魅力を放っていたが、私の目を引いたのは猫の置物だった。
とぼけ顔の猫たちが、テーブルの端に座っている。バリでは定番のお土産、バリ猫だということは一目見て分かった。

(シモンと一緒に拾った猫とは、また違う可愛さがあるな。……って、またシモンのこと考えちゃった)

今日は十一月十五日。私だけが知ってる、彼の誕生日。
でも今年はあの時のような幸せな時間を過ごすことは出来ない。この世界の彼はそれを望んでいないし、私もそうだ。

「……はぁ」

まっすぐ家に帰らず寄り道したのは、家にいたら彼のことを考えてしまいそうだったからなのに。
結局、別のことで気を紛らわせようとしても無駄なのだ。それくらい、彼は私の心に刻まれてしまっている。

(それならいっそ、開き直ってしまったほうがいいかもしれない)

私は赤と緑のバリ猫たちを購入して、雑貨店を後にした。

ドアを開けると、少し埃っぽい空気が私を迎えた。どうやら、あれ以降シモンもこの部屋には来ていないようだ。
ここは、私が存在した世界ではシモンの部屋で……この世界ではシモンが私の部屋として一方的に与えてきた場所。
普通に暮らすには十分な家具が揃っているけど、やっぱり生活感はなくて、どこか寂しさすら感じてしまう。

「この子たちを飾ったら、少しは寂しくなくなるかな……」

自分が使うわけでも、シモンが使うわけでもない部屋に小物を飾ったところでどうにもならない。彼の元に届くはずもない。
これが無意味な行為だということは、よく分かっている。でも私は、バリ猫たちを棚の端に座らせた。
彼が生まれた日に何もしないなんて、出来なかったから。

(誕生日、おめでとう)

心の中で、祝いの言葉をつぶやく。
これで少しは心が満たされてほしい。
そう思っていたけど、心に残ったのは際限のない虚しさだけだった。

「はぁ……何やってるんだろ、私」
「本当にね」
「っ……!」

予想もしていなかった声が飛んできた。私はびくりと身体を震わせて、反射的に声がしたほうを見る。

「嘘……」

そこには会いたかった人が立っていた。……いや、正確には違う。私が会いたかったのは彼だけど、彼じゃない。

「住んでいるわけでもないのに、何故この部屋に飾りなんてつけているのかな」

言葉はやわらかいのに、声は刺すような冷たさを帯びている。私の行動が本気で理解出来ない、という顔をしているような気がした。

「なんであなたがここに……?」

質問に答えず自分の疑問をぶつける。シモンはそんな私を一瞥した後、口を開いた。

「この部屋をきみに与えたのは僕なんだから、入れるに決まっているよね」

(私が聞きたかったのは、何故こんなにいいタイミングでやってきたのかってことなんだけど……)

彼が質問の意図をはき違えるはずがない。つまり、答えるつもりはないのだろう。

「……そういえば、そうだったね」

納得したふりをしながら、私はもう一度彼のことを見た。
この部屋にいるシモンは、私が大切に思っている彼ではない。それは分かっている。でもこうして会えたことを嬉しく思ってしまっている自分がいた。
多分本人は忘れているだろうけど、今日は目の前の彼の誕生日でもあるはずだ。

(さすがに、お祝いの言葉をかけるわけにはいかないか……)

じっと見ながらそんなことを考えていたら、シモンはしびれを切らしたようで、また話しかけてきた。

「……僕の質問には答えてくれないのかな」
「なんでこの部屋に飾りをつけてるのかって話?」
「それ以外何がある?」
「あ、うん、そうだよね……」

(なんて答えよう。嘘はすぐに見破られるだろうから……)

「……大切な人の、大切な日、だから」
「大切な人、ね。それって、きみに無責任なことばかり言っている人間?」
「彼は無責任なことなんて言ってないけど……まぁ……あなたの認識で考えるとそうだよ」

シモンは棚にあるバリ猫を見た後、また私に視線を戻す。心なしか、その視線は先ほどよりも鋭くなっていた。

「そんなに大切なら、本人に会いに行けばいい。こんなところで油を売る理由が分からないな」
「……会いに行けるなら、とっくに行ってるよ」

(会えないから、ここにいるんじゃない)

私は唇をかみしめながら、彼の瞳を見つめる。でもその深海のような深い闇を内包する瞳からは、あたたかな感情を読み取ることが出来なかった。私が知っているシモンにあったものを、彼は持っていない。前から分かっていたことなのに、何度も確認して、何度も失望してしまう。
彼の中にあるのは冷酷さと、小さな苛立ちだけ。
彼が私と会って抱く感情は、それだけなんだろう。
私はこんなにも心がかき乱されているのに……。

(……悔しい)

嵐とは縁遠い水面に、石を投げ込みたくなる衝動に駆られた。
私は棚に置いていた猫を一つ手に取り、彼に近づく。

「……これ、あげる」
「は……?」

さすがに猫の置物をもらうことになるとは思っていなかったようで、シモンはほんの少しだけ目を見開いた。
彼から驚きの感情を引き出せたのだと思うと、ちょっとだけ満たされたような気分になる。自然と口角が上がった。

「あなたにあげる。いらないなら捨てるなり焼くなりしてくれていいから」

半ば無理やり押し付けて、ドアノブに手をかける。
出て行く私を、彼は引き留めようとしなかった。

ガチャリ、とドアの閉まる音が部屋に響き渡る。
シモンは彼女の背中を眺めた後、猫の置物に目をやった。手の中にいる猫の間抜けな顔は、どこか彼女に似ている気がした。
愛らしい? いや、気に入らない。
彼女の探るような瞳が、誰かと重ねているような表情が、気に入らない。
勝手に何を期待して、何に失望しているのか。聞いたところで「大切な人の大切な日」のような曖昧な答えが返ってくるだけだろう。強引に聞きだすことも不可能ではないが、それを選択肢に入れる気分ではなかった。

「……」

コントロール出来ない感情に苛立ちが募り、握る手に力が入る。
大切の人とやらのために買ったのだろうこの猫の置物を、壊してしまおうか。彼女自身、捨てるなり焼くなりしてくれていいと言っていたのだから、粉々にしてしまってもいいはずだ。
しかしシモンは、手に込めていた力をゆるめた。

「……馬鹿馬鹿しい」

無駄な行為で自分を慰めている彼女が?
それとも、そんな彼女の言動にいちいち反応している自分の心臓が?
おそらく、どちらもそうなのだろう。

シモンは一度自分の胸に手を当てた後、渡された猫の置物を元の場所に戻す。その時ほんの一瞬だけ、柔らかな緑色が彼の目に飛び込んできたのだった。

シモン、誕生日おめでとう!
またこうしてあなたの誕生日を祝うことが出来て、本当に嬉しく思います。
書いたお話はあんまりめでたくないけど……あっちのシモンも好きなので、個人的には満足しています。楽しんでいただけたら幸いです。