君との初めて
デートシナリオのシチュエーション一部使用してます。本編ネタバレなし、捏造。月の話です。
【あの日は君と出会った。朔月だった】
彼女と邂逅した日のことは、今でも覚えている。
『Queen』をここに派遣したと、彼女の親戚という男から連絡が来た。
その連絡を受け、些か浮足立っていたこも否めない。
待ち望んでいた邂逅は目の前だ。
何しろ、これからここへ自分を訪ねにやってくるのは、この世界の命運を握る、Queenなのだから。
自室で彼女を待つか、外を歩いていたところで声をかけられるのを待つか。
正直どちらでもよかったが、どちらのパターンにしても想定される受け答えについてはシミュレーションできている。
ならば、ある程度は好きに動いてもいいだろうと判断し、外の空気を吸いに扉を開いた。
──そして、僕の運命は新しい扉を開いた。
それは、モノクロームの世界に突然現れた、目にいたいほど鮮やかな色彩。
思わず目を眇める。しかし、その本能的ともいえる行動を、瞬時に理性で覆い隠す。
しかし、その瞬間の行動に気付いていたのか、彼女は胡乱気な視線をこちらに向けた。
(なるほど、一瞬の変化に気付くとは、観察力は高そうだな)
零細とはいえ、さすがに会社の社長なだけはあると内心で分析する。
そして、彼女の前でもういちどぼろを出さないよう、僕は意図的に口角をほんの少しあげ彼女に向ってやわらかな視線を向けた。
そのことで警戒がゆるんだのか、彼女は「あの……シモン教授にお会いしたいんですが」と、想定していた台詞をそのまま僕に問いかけてきた。
──大丈夫だ。この問いは予想していた範囲のものだ。
だから、先にシミュレーションしていた表情と言葉で、彼女の問いに言葉を返す。
彼女が僕を信頼するように。
ただ優しくするだけじゃない。彼女の気を引くために薬に変わる程度の毒を言葉に混ぜて。
彼女にとって、僕が必要だと思ってもらえるように。
その日の夜、想定通りに予定が進んだ確信を得た僕は、次の工程へと進むことにした。
彼女の隣に引っ越し、距離を縮め、動向を探りやすくする。
そこに感情的な雑感はない。
けれど不思議と高揚感を覚えてしまう。
この感情は自分にとっても少しイレギュラーではあったけれど、悪いものではないと判断していた。
物事にはなんにでも、揺らぎはあるものだ。
この揺らぎが、自分の想定を超えなければそれでいい。
そんなことを考えながら、その日の夜の帰り道、ふと空を見上げる。
これからはじまるのだと言わんばかりに、新月の夜、星だけが空に煌いていた。
【いくつもの弦月を君と過ごした】
春──朧月。
「シモンが何をしているのか気にならないわけじゃないけれど、必要があったら教えてくれるんでしょう?」
まだお互い手探りのなかで関係性を築いていたころ、彼女がふともらした言葉。
彼女の、無邪気さの中にひっそりと根付いた刹那的な感情を感じ取り、僕は内心で悦びを覚える。
僕のことを気にしながらも深い事情を詮索しない、それは僕が彼女に植え付けた甘やかな毒だから。
夏──淡月。淡い月の光の中で見た蛍の光。
「蛍って、とてもきれいなのになぜか切なく感じる」
月灯を受けて淡く光る蛍。色こそわからないけれど、仄かに光っている様子はわかる。
それは、弱って死を間近に迎えた、蛍の命の輝き。
その優しい景色は、世界の終わりを間近に控えた人間たちにあてはめられるのか。
彼女が世界の真実を知った時に、その心は耐えられるのか。
耐えられるように、僕は彼女の感情に優しい毒を絶えず流し続けている。
蛍を眺めながら、僕はぼんやりとそんなことを考えていた。
秋──山月。秋風の中。二人で山奥の温泉宿へと泊まる。穏やかで静かな時間。
この世界が停滞している錯覚を覚えるほど静かな世界を二人で過ごした。
「この温泉、すごくいい湯質なんだって! 入るのが楽しみだよね」
心底楽しそうな笑みにつられて、僕も頬をゆるませる。
それは、彼女にも見せたくはない、僕のやわらなか部分を刺激するほど穏やかな笑みだった。
本当に彼女の言葉を聞くことも、一緒に過ごすことも楽しい。
僕が甘やかな毒を絶えず流し込んだとしても、きっと彼女の芯まで染まることはないのかもしれない。
Queenとしてそのことが正しいのかはわからない。けれどそれが『彼女』なのだから。
冬──果ての月。雪で滑って転びかけた彼女を助けた日。抱きかかえた彼女は華奢で、力をこめたら壊れてしまいそうだと感じた。
僕へのプレゼントだと言って手に抱えた本を転んでも手放さないとでもいうようにその本を抱きしめながら。
その日は雪が降っていて見上げても月を見ることはなかったけれど、それでもよかった。
「君が僕のそばから消えてしまわないように、この腕に閉じ込めたままならいいのに」
抱きしめながらそんな言葉をかけると、彼女は照れるより先にどこか戸惑った様子を見せていた。
この言葉に他意はない。ただ、純粋に彼女のことを愛おしいと思ったから、睦言を心のままに彼女に告げた。
それだけのことだ。
どの季節でも、僕には月の色を知ることはできなかったけれど。
それでも暗闇を優しく照らしている月を想うことは、嫌いではなかった。
【しずかな天満月の記憶】
どの季節も、たくさんの時間を僕と君は一緒に過ごした。
最初は知り合い同士でしかない距離感。
次第に仲の良い友人というパーソナルスペースが縮まった距離感。
多分、距離が縮まったきっかけは僕たちが手を繋いで街中を歩いたときがはじまりだった。
はじめて手を繋いだのは、夜の街、彼女と二人でマンションへ歩いて戻る途中。
途中にあった段差で、彼女が転びかけたときのことだった──。
「きゃっ!?」
バランスを崩した彼女の手を取り、支える。
「ありがとう、シモン」
「どうしたしまして。気を付けないと危ないよ、僕の可愛いおばかさん」
「ちょっと気を取られていただけだし……」
「それじゃあ、また転ぶかもしれないね。転ばないように、ずっと手を繋いでいようか?」
その時の言葉はどちらかというと軽口で、本気で手を繋ぎたくて告げた言葉ではなかった。
だから、手を繋いでいようかと自分で告げたのに、何事もなく僕は彼女が佇まいをただしたところで、手を離す。
けれど、僕たちはその時点で思った以上に、僕が思い描いていた『適切な距離』へと近づいていた。
「ぁっ」
僕が手を離したその瞬間、彼女は一瞬だけ小さな声をあげた。
まるで、ぬくもりの残滓を惜しむかのように。
その声に思わず彼女の顔を見る。すると、自分が声をあげたことに気付かれたと思ったのだろう。
「な、何でもない」
僕が何かを言ったわけでもないけれど、彼女もいたたまれなかったのだろう。
小さく何かに対して言い訳するような声音でそう嘯いた。
だから、僕も──。
もう一度、彼女の手を取り、そっと握りしめる。
そして、握りしめたその手をほんの少しだけ自分の元へと引き寄せた。
「ずっと、手を繋いでいようか。嫌かな?」
「いやじゃないよ……」
嫌ではないと告げた言葉に嘘はないと、誰にもすぐにわかるような表情を彼女はしていた。
頬を赤く染め、僕が望んでいた感情を湛えた潤んだ瞳。
少し下唇を噛んでいる姿から緊張が伝わってくる。
自分が仕掛けたこととはいえ、素直に慕ってくる彼女に対して罪悪感がないわけではない。
だからせめてどこまでも優しく、今の僕たちの『適切な距離』をより意識させるために、僕は繋いだ手にほんの少し力をこめた。
彼女が僕にとって特別な人だと、彼女に思ってもらえるように。
もちろん、それは嘘ではないけれど。
そしてその日をきっかけに、僕と彼女の距離はより縮まった。
【てらしているのは、傾月のささやかな光】
その日、僕たちはいつものように二人で帰路をたどっていた。
僕が協力した案件の視聴率がとても良く、それが連鎖的に大きな仕事につながっていったと、彼女は心底嬉しそうに話していた。
だから今日はそのお祝いだと、彼女が僕に美味しいからぜひ一緒に食べたいと連れて行ってくれたレストランで過ごした後、二人で腹ごなしがてら歩いて帰ることにした。
「今日、楽しかった。やっぱりシモンと一緒の時間を過ごすことって、好きだな」
「僕も好きだよ、君と過ごす時間は、僕にとって何にも代えられない大切な時間だ」
これは、僕自身も意外だったけれど、彼女にかけた言葉には自分でも甘さを帯びていた。
その匂いを彼女もすぐに感じ取ったのだろう。
僕の言葉を聞いて一拍おいた後、「そうなんだ……」と、顔を真っ赤にしながら少しうつむいた。
耳まで赤くなっている様子が愛らしくて、思わず人差し指で耳朶に軽く触れる。
「シモン!?」
「そんなに俯かないで。君の顔が見えなくなる」
「や、やだ。だってシモンが変なことを言うからじゃない。もう、さっきより顔が赤くなってる気がするよ」
「変なことなんて、ひとつもないよ。それとも、もっと直接的に言ったほうが君には効きそうだね」
「え……?」
これは恋の熱とでもいうのだろうか?
僕は彼女ほど赤くなることがないからわからないけれど、すでに僕は今の時点で自身が想定している『適切な距離』をはみだそうとしていた。
彼女が僕の言葉で一喜一憂する様子がとても愛おしくて、もっと色んな顔をみたいと思っている。
だから僕は、彼女にそっと顔を近づけた──。
彼女の熱をもっと欲しいと思ったから。
【ルナの光。知りたかった月の色】
11月15日。
彼女が用意してくれた手作りケーキと、僕が少し気になっていると以前つぶやいていた研究書をプレゼントに、彼女が部屋を訪れてきた。
「お誕生日おめでとう、シモン!」
「ありがとう」
彼女が用意してくれたプレゼントを受け取った後。二人で穏やかな時間を過ごす。
もう、適切な距離ではないけれど、お互いが最も心地よい距離で。
ソファで僕の胸に背中をあずけ寛いでいた彼女に、僕は近くのサイドテーブルの引き出しに隠していた小箱を取り出した。
そして、彼女の腰に手を回し軽く引き上げる。
より顔を近づけると、何かを察したらしい彼女が僕を振り向き、甘えるように頭をあずけてくる。
「どうしたの?」
「僕の誕生日ということで、ひとつお願いがあるんだけど、いいかな?」
「もちろん! シモンのお願いなら、なんだってかなえちゃう!」
お願いがなにかなんて聞く前に豪語するその姿が勇ましくて、僕は小さくくすりと笑った。
「心強いね。でも、僕が無茶なお願いするとは思わないの?」
「どんな無茶なお願いでも、シモンのお願いなら頑張るから」
その言葉を聞いて、彼女が僕のことを本当に好きでいてくれるんだということも伝わる。
「僕が君に無茶なお願いなんてできると思う?」
「おもう」
「ふふっ、そうかもしれないね。でも今、君への願いは難しくないよ」
言いながら、僕は彼女の後ろ髪をさらりとかきあげる。
そして、小箱の中からネックレスを取り出し、彼女の首にかけた。
「これ……? ネックレス?」
「そう。僕の誕生日に、このネックレスを付けた君の姿が見たかったんだ」
不思議な顔をして、彼女はペンダントトップを手に取り見つめている。
「月のモチーフのネックレスなんだね。とっても素敵だけど、シモンの誕生日なのにどうして私に?」
「これを付けている君をみることが、僕にとってのお願いだったから」
彼女の一部になったネックレスはとたんに淡い彩りを放つ。
それは、彼女と出会った朔月のあの日から、いつか知りたいと思っていた月の色。
こうすれば、きっと自分でも月の色を知ることができると思ったから。
空に浮かぶ月の色を知ることは、きっと僕にはできないけれど、彼女を通して知ることができる。
月の色だけではない。僕はこれからも、彼女を通して本物を知るのだろう。
「君に似合っていてよかった。思った以上に、この色は君に似合っているね」
「うん。ありがとう。私も月のやわらかな色、好きだよ」
僕は照れながらペンダントトップを弄り続ける彼女の手を包む。
僕の手に隠された月だけど、色を失うことはなく僕と彼女の手の中で輝きを放っていた──。
サブタイトルは縦読みのために作りました。誕生日という節目を迎えるたびに、またひとつ心を開いてくれるシモンさんがとっても好きです!

